その275

 一本の道があり、そのうえを歩く人がいるとして、歩く人はその歩いている場において、その現在にある。しかし、現在とは、その人にとってのことばかりではない。現在とはどこまでを含むのか。時空の歪みから、道のあらゆる地点において、その今がいつなのかが異なっている。いくつもの今がこの存在において同時にあるのか。それとも、いくつもの今はすべて異なった実在であり、それゆえに、一本の道も不連続にあるのか。自分がいるところだけが今ではないことは確かだ。今を感じ取れるのは自分がいまいるところかもしれないが、感じ取られずともあるのが今であるとき、この時空間において、何が今を決定づけるのか。どうであれば、今なのか。今ではない地点は実際に実在しているのか。今を意味する地点だけがあるなら、何かがあることは不可能ではないか。