その253

 起こっていることのすべてが自然であっても、それらすべてが必然として起こっているのではない。必然とは何か。必ずそうなることか。であれば、必然に込められた意味には、私たちの推論がある。その初めにおいて、すべてが明白ではない世界を生きるうえで、推論をしていくことになる。推論をしていくことで、必ずそうなることがあり、必ずそうならないことがある。しかし、起こっていることのすべてがそうした必然にあるか。その初めに推論があるのであり、その推論に対して、必然かどうかを判断するのであり、最初からすべてが必然に起こるというのではない。起こるべくことが起こっているのではない。起こっていることが起こっている。起こっていることのうちには、推論に反したことがある。反したことである以前に、推論されていないことが起こることがある。起こっていることは必然としてのことであれば、推論に対して予期することのなかった偶然として、起こっていることがある。現実はすべての起こっていることを踏まえているが、すべての起こっていることがすべて予期されたこととして起こっているのではない。すべては必然として起こっているのではない。起こることが起こっている。起こることが起こることで現実が出来上がっていくのだが、それらすべてが起こるべくして起こったのか、それははっきりとしない。起こるべくして起こるとするなら、存在するものごとのすべてを予め推論する必要があるが、それがなされることはあり得ない。個別に何かの推論があり、それが起こるかどうかについては明確な解があるかもしれないが、すべてというすべてが推論されることがない以上、すべてが必然として起こっているとは絶対に言い切ることはできない。