その240

 存在はそれが何であれ、意味の運動により捉えられた実在であるとするとき、何かはその意味の運動により変化をし、その意味の運動の領域内にあると考えることができる。存在にまつわる意味的連関は不連続にある。ありとあらゆる実在が一個の意味的連関のうちにあるのではない。意味的連関はそれぞれの領域を定めたうえで実在する。ある個物を基軸に考えた時、確かにそれを元にした意味的連関がある。関係性が発生するのは私たちが認識しようとするからでもあるが、それ以前に、確かに一個の個物があるからだ。個物があることが意味的連関を限定する。限定的な意味的連関がいくつもある存在のうちにそれらを統括する一個の意味的連関は実在しないのではないか。カオスとしての意味的連関が一個の存在のうちに広がっているのではないか。認識上のカオスではない。存在の実態がそれ自体として制御しきれないカオスにあるのではないか。私たちに制御不能なことはいくらでもあるが、存在もまたそれ自体として、私たちが制御できないように、制御不能な状況にあるのではないか。制御は個別にはある。個別に制御されている実質があるとしても、全体を統括するなんらかのシステムは実在しないと考えられないか。個別の運動が制御され、かつ、反制御的にその運動にあるのではないか。存在の振る舞いはそれゆえにマクロではカオスのはずだ。