その199

 認識の存在は、それが在るといった一点においては、それがいかにあろうと実在であり、その正否については、関係性によるところから、即座に決定づけることが難しい。正しい認識とそうでない認識があり、そのいずれもに正しい可能性があるとき、認識の存在はそれが在るといった一点においては疑いようのないことになる。つまりは、言葉に置き換えられたことはそれが間違っていようと正しかろうと、在るといった一点において疑いようがない。

 正しいことだけが在るのではない現実において、正しいことだけを在るとはできない。私たちの実存とは、その本質においてはカオスではないか。間違ったこともつねに含んでいる。つねに正しいことだけを思い、認識するのではないのだから、自らの精神が拵えたカオスのなかにいるのが私たちではないか。