その157

 私たちは事実でないことも認識として持っている。であるとき、認識は確かな事実とそうでない、可能性の部分に分かれる。認識それ自体をメタ認知することが各人によってなされることが肝心で、認識したことがどういった状況にあるのかを認識したとき、認識は初めて意味をもつ。認識の認識により認識された事実が認識の根幹であり、認識の内実とは、認識と存在の関係性により区分けされたうえで実在する。知っていることが確かなのか、可能性に過ぎないのか。その精査をする感度が求められる。認識する私を認識する精神はどこにあるのか。