その156

 一個のりんごを認識するとき、そのいかなるかは、私たちの認識において、確かな部分とそうでない可能性の部分がある。可能性とはそれが起こる確率のことで、それとはいくつもあるそれらのことであると考えたとき、一個のりんごに対して発生する不確定要素はいくつもある。それの幾つもが可能性としてに事実として、一個のりんごの存在との関わりにある。一個のリンゴの存在と私たちが関連したときjに生じる認識のあり方には確かな部分と可能性の部分がある。個数が一個なのは事実だが、そのりんごが存在する状況を子細に検討したとき、その運動は時間軸上にある。すでになくなった状況を含む過去とこれから起こるであろう未来のあいだにあるりんごは過去と未来に接した姿であるとき、いまだ事実となったわけではないが流れの中でそうならざるおえない推測が含まれたかたちで私たちの認識はあるのではないか。過去であっても、それはもはや不動だが、現在のすべてを認識しているのではない私たちからすると、過去もまたそうであったかもしれないといった可能性として認識される。