その155

 相応しいことはその限りでは正しいが、他の尺度からしたら、正しくないことがある。あてはまっているか否かが問われているのであり、いずれにおいても正しいことは、その都度確かめていかないと明らかにならない。どこまで確かめたところで、正しいことになるのか、それは誰もわからない。すべてにあてはまることを確認したとき初めて普遍的と言えるはずだが、すべてとは何か。存在のすべてを把握することが原理的に不可能でしかない私たちにとって、普遍的であることとは、認識可能領域における事実に過ぎない。存在はさらにその向こうに広がっている可能性がつねにある。可能性でしかないことはそれでも事実に含まれる。可能性として考えられることを事実とする必要があるのは、私たちの認識が常に不完全である事実をもとに作り上げられるものであることから、可能性に過ぎないこともまた事実として考えなければならないことによる。私たちにとっての事実とは可能性を含んだ不確実さとともにある。