その143

 一切の現象がないとき、そこは無である。何かが現象するから存在は存在可能ではないか。現象することで存在するのではなく、存在には現象をするための運動が与えられている。運動が与えられていることとは、その運動のための空間があることを意味する。空間があるということは、存在の広がりがあることを意味する。存在の広がりとは万物のことであり、あらゆる存在を含んだ場を空間と呼ぶことができるが、空間というものをそれ自体として取り出すことは可能か。存在が広がっているだけで、空間といった入れ物に入っているのが万物だろうか。万物とはその流転にあり、現象を続けていく。現象のための原因とは何か。なぜ存在は現象するのか。存在の変化はなぜ起こるのか。存在には余白があるからではないか。存在を押し留める場である空間を仮に実在としたとき、空間には余白があるのではないか。何も存在しない場が空間にはあることで、存在は運動をしていけるのではないか。