その134

 認識はそれ自体で成立しているとき、完全である。私たちがそう認識したことにおいて完結していることで、その成立をみるが、その認識はさらなる発展の契機を含んでいるのではないか。認識対象における関係性の複雑さは計り知れない。複雑さをひたすらに紐解いていくことが認識であるとき、認識とは果てしのないプロセスで、その終わりはない。道半ばの認識も理にかなっているようであれは、ひとまずその成立をみることができる。合理的であることでその成立を感じられる認識は、合理的であるから完成しきったというのではない。論理的であることを合理的と感じ、言葉の領域において完全であるに過ぎない。つねに言語を超えた領域をもつ認識対象は言語により追従されていく。認識対象は合理的に成立しているのか否か。最終的には不合理なのか否か。認識対象によって異なるとき、私たちの認識のあり方は多様であるべきだ。認識対象に合わせた認識の存在がある。その使い分けがあることは理解されても、いかなる方途であるべきか、それは知らない。個別に考えていくしかない。存在の認識は個別化をしていく営みではないか。