その128

 そのものそれ自体は存在するのか。そのものそれ自体は、関係性それ自体であり、かつ、関係性の運動であり、動的なそのものをそのまま把握することはできない。できないがそのものはそのまま、あるがまま実在している。知り得ないが実質的に存在はすべてがあるがまま、一切の疑いと関係を持たないで実在している。

 疑うことはしかしピュシスである。あるがままある状況について、私たちはその実在を把握するためには疑ってはいけない。しかし、私たちが何かを疑うことは当然のことであり、あるままの状況を認めようとする精神のなかに疑いがある。疑っていては見えてこないことがあるなかで、否応なしに疑う精神が宿っている。疑う精神を疑って、疑いを終えることで、見えてくることがある。では、疑うことの一切をすることをしなければ、すべてを理解できるのか。存在のあるがままを感じることが、理解することなのか。疑う必要はなく、感じるだけで完全なる理解なのか。存在をまるのまま受け入れることを考え、疑うことなしに、為しうることができるのか。