その127

 変わりゆくものの流れが認識されるのは、その流れの一切と同一であるときでしかない。流れそのものの移り変わりである存在はその一切の実質的な認識を持つことは不可能でしかない。そのものがいかにあるかはそのもの自体であり、外部からの認識はそのものそれ自体ではない。