その91

 そこにりんごがないことは、りんごのゼロではなく、りんごのマイナスである。りんごは実在するがそこにはないだけの話であって、どれほどの物質的な性質によりりんごがないか。それを捉えて表そうとしたとき、りんごがないところにりんごがいかにあるかをゼロではなく、マイナスで表現すべきではないか。存在は、そこにあるか、ないか、である。そこにあるときはプラスで表され、ない時はマイナスで現すべきことの根源には可能性の実在を現実と捉える考えがある。そこにりんごはなくても、1時間後には突如として現れることがある。そこにあったりんごも1秒後には姿を消すことがある。まずさきにあるのは地点としての場であり、場がいかにあるか。それがりんごなのか、空気なのか、コーヒーカップなのか、炎なのか。場とは何が表れているかであり、場そのものが単独であることはない。つねに何かとしての場である。そこで現象する何かがプラスかマイナスかで捉えることで、場の性質が具体的に見えてくるのではないか。