その89

 一切が情報であるとしたとき、存在するのは情報であり、構築された情報により生まれた枠組みが個物として実在するものの、枠組み以前にある情報が実在するはずで、できあがった枠組みはいかなる情報が根底にあるのか。りんごがりんごの姿になるための枠組みが実際にあることで、りんごはりんごになる。りんごであることとは何か。りんごであることはりんごの枠組みのなかにその実在を生んだことになるが、りんごの枠組みを生む原因は何か。何が存在することでりんごの枠組みになるのか。りんごの枠組みを生み出すしかけがある。一個の建物が立った時、素材はどこかにあったが、構造性である枠組みはどこにもなかった。ゼロからできあがった枠組みは、誰かの精神によりできあがった。構造をゼロから生み出した精神は当人によって育まれた。どんな精神でも生み出されるものではない。精神のあり方は個別に違う。物理的な次元において存在する精神のいかんが一個の建築との関連にある。精神とは作り変えられ続ける枠組みのことではないか。精神の枠組みは何かに投影されて姿となる。建築物がまさに精神内部が投影された姿ではないか。であるなら、その枠組みとしてのりんごは、その初めは、その関連にない何かしら精神のようなものの枠組みにより、その外部に投影されたのではないか。りんごの枠組みをりんご以外から投影するものとは何か。種ではない。種の原因は何か。そのまた原因は何か。まったく何もないところにりんごの根源を生み出す精神のようなものとは何か。