その77

   ドラゴンは存在するかと問うことと、ドラゴンはいかに存在するのかと問うことにはもちろん違いがある。ドラゴンは存在するかに対しては、するか、しないか、の排中立の答えが考えられる。存在すると答えたとき、そのあとに、ではいかに存在するのかとの問いがくることが考えられる。存在することが前提でなければ、いかに存在するかを問うことはできない。もっとも、ドラゴンは存在するかとの問いであっても、ドラゴンはいかに存在するのかとの含みがないわけでもない。ドラゴンは存在するのかと問うたとき、ドラゴンはいかなる存在であるかと問うたことにもなる。問いはこのように開放系であり、問う側と問われる側相互に完全なる合致はないはずだ。そもそも、問う側であっても、自身が発した問いの意味がひとつではないことがある。問いは問われた側のものか、問うたものの側のものか。そのいずれでもないとき、問いは間主観的な実在であると考えられる。