その57

   循環系である存在において、a=非aである。a=非aはaの運動を現す。aがaでないものと等しくあることが同一の時刻において成立することの意味は、ひとつのりんごがりんごではない運動の循環系に含まれた存在であることの証左ではないか。何かがあることはそれ自体が第一原因ではないのではないか。それを成立させるための系が第一原因にあるのではないか。個別に存在する何もがその個別性において実存するのではなく、実存可能とする系により個別性が生じるのではないか。系が存在を個別化していくと考えられないか。