その51

 イメージがイメージであるためには、対象とは異なっていないといけない。そのものそのままであれば、それはイメージではない。りんごそのものはりんごのイメージではない。りんごのイメージはりんごを元に作られた主観性である。それがどんなものであれ、対象をもとにできあがっているなら、イメージである。

 私たちが生み出すイメージは機能的なものである。私たちの機能に由来するイメージは、私たちの領域内にある。私たちの領域の外にもイメージはあるかもしれないが、私たちはカエルが構築するイメージを知っているだろうか。個々のカエルはりんごをどのように見ているのか。心理的な見え方もあるのか。りんごをどのように思ったうえで、りんごをイメージ化しているのか。りんごのイメージは思う現象があれば、その分だけある。主観の数だけ微細に分かれたりんごのイメージがある。そのいずれもがそのものである。イメージが物質的な次元で構築された痕跡を残すなら、イメージはそれ自体が現実である。りんごではないが、正しくイメージされたりんごのイメージが確かに存在する。

りんごそのものもまた何かのイメージが具現化された可能性もある。何がもとになって出来上がったりんごなのか。ある雛形があり、その対象に向き合う力が働いたことで、具現化されたのがりんごかもしれない。りんごであることとは他の何かの具現化ではないか。