その49

 私たちは感情的である。感情しないときはない。感情が認識との関わりにある。理性だけで認識はされない。感情の動きがあることで認識が変転していく。流転する存在を捉えようとするとき、感情の動きが肝心なのではないか。存在を感情の動きで捉えた時に発生するのが存在の質感ではないか。存在そのものの実質が見えるのではない。私たちに加工された存在が質感をもって現れる。どこに現れているのか。私たちが見たりんごの姿はどこにあるのか。りんごと私たちの間にあるものの、それがどこなのか、わからない。

 脳内で処理されたりんごのイメージが浮かんでいるのを見て、りんごとはそのことだと思うとき、浮かんだイメージは物質的な次元でどこにあるのか。どこにあるのをいかにして見ているのか。自らで拵えたイメージを自らで眺めるといったメカニズムはどのような運動なのか。