その27

 世界とは私たちのイメージする存在である。私たちは世界を措定することで世界が存在することを理解するが、あくまでも措定であり、実質的には世界は存在しない。措定とは止めることであり、運動し移り変わる世界は本来であれば、措定され得ない。動いているものに一点の停止もない。措定され得ない世界こそが世界だが、それは世界ではない。一瞬もまた実在しない。流れがあるだけだ。

 流れがいかにあるか。いかなる流れが存在するのか。存在とは流れである。流れの姿が私たちにとっての世界を規定する。世界とはそれ以上の広がりである。私たちの認識内における存在を世界としたとき、私たちの認識外にも存在は広がっている。あらゆる可能性以上に存在するのが実際の存在のありようであり、意味である。

 意味のつながりが流れである。存在はその意味である。意味があるから何かが存在するのではないか。意味のひとつもなければ何も存在しない。私たちの見出すことのできない意味が存在の広がりには宿っている。あらゆる意味を寄せ集めても、それ以上の意味がある。私たちには永遠に到達できない意味がつねにある。知り得ないことが存在する中で生かされている。